大東文化大学 法学部 政治学科の武田知己教授に、専攻とされている政治学を中心にインタビューを行いました。政治学に関して学びを深めたいと考えている方や、武田知己教授と同じ学問を専攻としていきたい学生さんは、ぜひ最後までご覧ください。
武田知己教授のプロフィール
大東文化大学法学部政治学科教授。博士(政治学)。日本政治外交史・政治学を専攻。東京都立大学法学部助手、日本学術振興会特別研究員(COE、政策研究大学院大学)等を経て現職。著書に『重光葵と戦後政治』(吉川弘文館)、『自民党政治の源流』(共著、吉田書店)など多数。(写真:グダンスク視察中の筆者。2023年7月)
ご経歴と専攻分野
現職は大東文化大学法学部政治学科教授です。日本政治外交史・政治学を専攻しています。一般には聞きなれない専攻分野かと思いますが、日本を取り巻く国際環境の変動と日本の国内政治の変動との連環、あるいはそれとは逆に、それらが相互に安定する際の連環を強く意識した近現代史だと理解していただければと思います。特に、昭和戦前・戦時・戦後(1920-1950年代)が専門です。近年は、明治期や現代にも手を広げ、近現代を貫く日本の政治・外交の特徴や独自の精神とは何だったのかを考えています。
私は上智大学文学部英文科で英文学を学びました。その後、東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻に進み、修士課程を修了、博士課程の中途で東京都立大学法学部助手に採用され、学位申請論文を提出し、博士(政治学)を授与されました。日本学術振興会特別研究員(COE、政策研究大学院大学)、大東文化大学法学部政治学科専任講師、准教授を経て現職。この間、ロンドンスクールオブエコノミクス国際関係学部客員研究員、ワルシャワ大学東洋学部客員研究員、中央研究院近代史研究所客員研究員、日本国際文化研究センター共同研究員等を歴任しています。
政治学を選んだきっかけ
福島県の田舎に生まれた私は、高校時代に東京に出たいという意志だけはあって、いくつかの選択肢があった中、東京の私立大学の英文学科に進学することを決めました。
最初はアメリカ文学を学ぶつもりでした。高校時代に英語は比較的得意で、将来は翻訳家になりたいと希望していました。しかし、大学に入学した1989年という年は国の内外の激動の年で、天皇崩御、天安門事件、冷戦の崩壊などが続き、私の興味関心は文学や語学から、歴史や国際政治に一気に引き付けられました。結局、3年以降の卒業単位の半分以上を国際関係論副専攻に配置されていた科目(当時は外国語学部の授業でした)で埋めました。三輪公忠先生(国際関係論)、藤崎一郎先生(日米関係史)、小倉貞夫先生(ベトナム戦争史)の授業は毎回欠かさず出席したことを覚えています。
学部時代に英文科にいながら中国に一年間語学留学しました。それも1989年の天安門事件の影響、国際政治への関心からでした。4人の日本人学生と一緒に安徽省に派遣され、一年間中国語漬けの毎日を送りました。留学中に天皇陛下が訪中されたことは忘れられません。他方で、2年のころに受けた安西徹雄先生のシェークスピアの授業の影響から、イギリス文学への強い興味を持ち、シェークスピアを好んで読むような生活をしていました(自分でも不思議な学生だったなと思います)。中国からの帰国後は、卒業論文として『ハムレット』を取り上げ、ハムレットが劇中で失敗に失敗を重ねる様子とその理由、劇中における効果について卒論を書き上げました。寒い日だったのを覚えていますが、学年末に、ピーター・ミルワード先生、安斎徹雄先生という二人のシェークスピア研究の大家から、口頭試問を受けました。最後に、英文学での大学院進学を進められたことは(事実です)、今でも少し誇らしく思っています。
歴史は政治学の基礎であり、応用だと思っていますが、政治学は結局人間学に落ち着くというのが私の理論です。今、こうして昔を思い出しながら、文学や歴史、国際情勢や変わりゆく中国情勢を現地で見る行動力を発揮したことは、遠回りのように見えて、実は今に続く道だったのだなと思えますが、結局こじつけでしょうね(笑)。私は、やりたい研究をジグザグ歩きながら、好きなようにやってきただけなのだと思います。 そこから自分が歴史家だという自己認識を持つまでには、まだまだ思い出を書かなければなりません。その道すがら、たくさんの師と呼ぶべき先生と出会ったことは、決定的に重要でした。日本の近現代の指導者たちの評価の仕方、現実政治を理論とともに分析する事の面白さ、史料や取材による現実政治の手触りを知ることの重要性、そして一つのテーマを追求し続ける情熱の大切さを、彼らから学びました。(写真:ワルシャワ大学で講義する著者。2023年6月)
政治学の主な実績
私は、研究対象とする時代も割と幅が広く、また内政も外交も扱います。国際関係史や理論も嫌いではありません。遺族に会い資料を借りて整理することや関係者に話を聞きに行くことはむしろ大好きです。
時代を多角的に眺め、それを可能にする史料ならば、手紙から証言まで、何でも手にするのが歴史家なのだと思っています。私の尊敬する先生方は、皆そのような他分野・多領域に深く見識をお持ちの先生方ばかりですが、息切れしながら、私も、亡くなられた伊藤隆先生(2024年8月にご逝去)をはじめ、そういった先生方のあとを追いかけているのです。
ただ、もし、自分なりに特徴があるとしたら、私は複数の領域が重なりあうところや「狭間」にある領域に強い興味を惹かれるタイプだと思います。また本流ではなく、傍流に位置する人やテーマを発掘することも大好きです。ですので、戦後政治でいえば、吉田茂や岸信介といった保守本流ではなく、保守傍流、しかも革新系と見紛うような人や勢力に興味をひかれてきました。重光葵や松村謙三といった人物との付き合いはもう20年近くになります。彼らの残した記録や日記(例として『重光葵外交意見書集』全三巻、現代資料出版、『松村謙三日記』一~四巻、松村謙三日記編纂委員会(私家版))を整理したり翻刻したりしてきたのは、私が胸を張って誇れる仕事です。
また、戦前の二大政党の一つであった立憲民政党の党人派や改進党、又その中の革新派といった政党やグループを長年研究してきました。彼らはその後自民党の傍流を形成します。何れ、彼らのコレクティブバイオグラフィーを書きたいと思っています。
また、外交史においても、日本で関心を持たれる日中関係や日米対立以上に、日英対立をずっと追いかけてきました。1941年12月の日米開戦前に日英が開戦していたことは忘れてはならない史実だと思います。そんな関係から、尊敬するイギリスの歴史家の作品を翻訳もしました(『大英帝国の親日派』中公叢書)。もう15年ほど、日米交渉前に行われた日英交渉の歴史をずっと跡付けており、もうそろそろ形にできるかな(しなければならないな)と思っているところです。
国際政治や国際関係の面から言えば、今まで政策決定過程や理論的な側面からの小さな作品をいくつか書いてきました。ケーススタディに関する小品の翻訳も進めています。
こういった仕事を50代で何とかこなしたら、史料収集やオーラルヒストリーをずっと続けていきたいというのが私の夢です。あと、日本政治外交史とは関係ないですが、台湾とポーランドのこともいつか書いてみたいなと思っています。
ここ10年余り通っている沖縄のこと、沖縄戦のこと、また原発事故で今も苦しんでいる故郷福島のことも、近い将来本にまとめたいと思っています。(写真:東京ステーションホテルで新聞を読む重光葵と松村謙三。後の筆者の研究対象)
政治学から日々の生活に活かせること
現代はVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)が顕著で、将来の予測が困難なVUCAの時代だと言われます。他方で、「価値観」が重視され、自分が信じるものしか信じない人が増えています。
先の見えない社会に激しく、かつ深く、文壇が生まれている状況を、どのような方法で修復できるのか、途方に暮れるばかりです。
そのような時代に進むべき道はこれだとか、あれだとか、確証をもって言える人は預言者かとんでもない悪人だと歴史は教えてくれます。歴史を学ぶ効用の一つは、極端な選択は愚かだと気が付くことでしょう。私たちは、現状を、少しずつ着実に変えていくしかないのです。
過去の事例としての歴史は、しばしばそうした際の道しるべになると言われます。それは歴史を買いかぶりすぎだと思います。歴史を教訓にする政治はしばしば間違うというのが、例えばアーネスト・メイ『歴史の教訓』のテーマでした。他方で、過去の体験は役に立たないのだから、ビッグデータや理屈で進むべき道を探すべきだという意見があります。しかし、そうした解決法は、知らない街をグーグルマップを頼りに歩く感覚に似ているように思います。間違いない方向に進んでいるという気はするのでしょうが、実はそれは自分の判断ではありません。同じ結果となることが最初から決まっているような判断は「自分のもの」ではないのです。私は、迷いながら目的地を探しだす経験が自分に蓄積していき、街を自分のものにしていく感覚が好きです。それは、私のようにぐるぐると対象の周りを彷徨いながら過去の事例を学ぶもの=歴史家の方法であり、ある意味で「野望」だと思います。つまりは、戸惑いや迷い、ちょっとした失敗に耐え、少しずつ修正していく生きざまを身に着けることができること、それを通じて、研究対象を丸ごと理解できるようになること、それが歴史を学ぶ効果だと思います。(写真上:福島第一原発構内を視察する著者。2024年11月)
政治学に関心のある方へのアドバイス
歴史上重要な決断をした人間の、良いことも悪いことも、好きなことも嫌いないこともひっくるめて、愛情と敬意を持てるようになるまで、一つの事例やテーマをとことんまで追いかけてみることが、歴史を学ぶ醍醐味だと思います。焦らずじっくりテーマと付き合ってください。そして多角的な視野から、多様な方法を使って、テーマを深めていってください。